「死刑でいいです」16歳で実母撲殺、22歳で姉妹強姦殺人、25歳で死刑執行…少年法で更生できなかった殺人鬼・山地悠紀夫とは

山地悠紀夫

広島で16歳少年少女による殺人遺棄事件が起きてその全容が知れるにつれ酷いDQNだなあと開いた口が塞がらない訳だが、少年犯罪とそれを罰する少年法について一体何なんだろうと考えているとふとコイツの存在が頭をよぎった。

山口県山口市出身で16歳の時に実母を金属バットで撲殺し、その後22歳の時に大阪でマンションに押し入り姉妹を強姦殺害した山地悠紀夫である。警察車両に乗って護送される中での、まだ年頃も若いナヨっとした感じをしてニヤけた男の表情は今見ても不気味である。

罪を犯した少年の更生を目的とした少年法は明らかに「性善説」に基いて考えられた法である。しかしその少年法をもってしても更生できない奴というのはこの山地のように残念ながら存在するのである。


山地悠紀夫は1983年8月21日生まれ。酒鬼薔薇事件などで話題になった「キレる17歳世代」などと言われていた世代のど真ん中にあたる。山口市にあった実家は貧しく建設作業員の父親がいたが酒癖が悪く家庭内暴力が絶えない家庭だったという。しかし1995年に父親は肝硬変で死去。その後は母親との2人暮らしになるが親類縁者との交流もなく孤立していた。

小中学生時代の山地は内向的な性格から友達も少なく学校ではいじめられていた。中学校時代には長期の不登校になり修学旅行にも行かなかったそうだ。高校の進学も積極的ではなく、とある会社の面接を受けたものの不採用となり、結局就職も進学もせず地元の新聞屋で配達のアルバイトをする日々となっていた。

山地は新聞配達で当時月9万の収入があり、その半分が母親の手元に渡っていたのだが、母親の借金の尻拭いにもその金が使われていた。隣近所から多額の借金をしながら、その事を息子に隠していたのだ。借金取りが家に押しかけてドアを蹴飛ばすような事も日常的にあったという。母親には再婚の予定があり、それを機会に親元を離れる計画も立てようとしていた。そんな鬱屈した16歳の時に第一の事件は起きた。母親を金属バットで撲殺したのだ。

その犯行理由は当時山地が好意を寄せていた女性の携帯電話に母親が嫌がらせの無言電話を何度もかけていた事にキレたから…という話らしいのだが、度々金の無心をする母親の存在を疎ましく感じたのか、それとも山地への唯一の理解者であっただろう母親が借金返済のため昼夜働き通しで全く構ってくれなかった事への憤りか、積年の恨み辛みからふと頭に殺意がよぎり突発的にしでかしたのかも知れない。

しかし山地は母親を殺した事への後悔や良心の呵責は一切なく、むしろ自らの手で金属バットで殴りつけ血を流しもがき苦しみながら死んだ母親の姿に性的快感を得ていた。2000年7月31日の事だった。

母親撲殺後は岡山の中等少年院に送致され、それから3年後の2003年10月には仮退院、翌2004年3月に本退院。3年半の少年院での生活は、彼に改心の機会を与えるものとはならなかった。娑婆に出た直後はパチンコ屋に住み込み生活を始めるようになる。この頃にはゴト師集団と知り合っており、2005年3月、パチスロ体感器を使った窃盗容疑で逮捕されている。

その後の11月、ゴト師集団が活動拠点を大阪に移したものの稼ぎが得られずその事から山地は離脱の意思を見せる。それから犯行の日まで現場となった浪速区のマンション6階に住んでいた知人宅に居候したり近所の神社の境内や倉庫、公園などで野宿していたが生活に目処が立てられず、たまたま現場のマンションに住んでいた姉妹が目について、ふと母親を殺した時の感覚を思い出し、性的衝動に駆られた。

犯行直前、山地はターゲットに選んだ姉妹が住んでいる部屋番号を突き止め、配電盤を操作して該当の部屋の電源を2度ダウンさせている。その時に被害者の姉(27歳)は眼鏡にリュックの不審な男(山地)の姿を目撃して職場の同僚にその事を話している。

しかし11月17日未明、姉妹を待ち伏せていた山地は夜中2時半に勤めを終えて帰ってきた姉の後を追って、ドアを開けた瞬間を狙って背後から襲撃、ナイフで胸を刺して強姦に及んだ。その直後に部屋に帰ってきた妹(19歳)も同じようにナイフで刺し強姦。

山地はそれから何食わぬ顔でベランダでタバコをふかした後、姉妹にナイフで止めを刺し、所持金を奪った後証拠隠滅のため部屋にライターで放火して逃走した。姉妹は病院に搬送されたがどちらも事切れた。犯行当時、まだ山地は22歳だった。

それから半月過ぎた12月5日に山地悠紀夫は建造物侵入容疑で逮捕され、19日には強盗殺人容疑で再逮捕された。翌2006年5月1日の初公判で山地は「人を刺した時に性的興奮が訪れる」ことを白状している。

過去の母親殺害についても「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と大阪地検検事に供述していて、根っからの快楽殺人者だという事が分かる。山地悠紀夫は少年法という性善説では到底叶わなかった極悪殺人鬼でしかなかったのだ。

その後続いた公判では集められた2万3千人分もの死刑嘆願書を前に「何も思うところはありません」と一言述べただけだった。12月13日死刑判決。弁護士権限で一度控訴されるが、山地自身が翌2007年5月31日に控訴を取り下げ、死刑が確定した。

それから2年後の2009年7月28日に山地悠紀夫は大阪拘置所の処刑台に立ち25歳11ヶ月の自らの人生に終止符を打った。僅か25歳での死刑執行は1965年にあった少年ライフル魔事件の被告(1972年執行)以来37年ぶりの事だった。山地の遺骨は親類に引き取られる事もなかったようで、大阪拘置所管轄下の法務省墓地に埋葬されているものと思われる。

山地悠紀夫についてはアスペルガー症候群などの発達障害の可能性があるという話も見られたが、最終的にはアスペルガーではなく「非社会性人格障害」「統合失調症質人格障害」「性的サディズム」などの人格障害があると結論付けられた検察側の鑑定結果が採用されている。

大国町のマンション

山地に陵辱され殺された姉妹が住んでいた現場のマンションというのが浪速区塩草二丁目にある10階建てマンション「UB21難波28」。地下鉄大国町駅にも近いが最寄りはJR芦原橋駅だ。マンションの前は児童公園、隣は食肉会社のオフィスで、あまり生活感のない区画である。正面は保育所だったが夜は人通りも少ない。しかしここ、階数偽装問題が発覚していて8階建てなどと申請していながら実際は10階建てという信じられない無法物件でもあるのだ。

大国町のマンション

このマンション、現在は名前を変えてはいるが犯行当時のまま残っている。大国町エリア全般に言える事だが非常にワンルームマンションが多い上に難波の繁華街にも徒歩圏で、そのうえ治安が悪いあまり家賃相場もべらぼうに安く、韓国人など外国人や山地の知人のような素性に知れないゴト師集団に紛れてこの事件の被害者姉妹のように土地の事情をあまり知らない人達が住んでいたりする。

大国町らへんのマンションはミナミで水商売など夜のお仕事で生活している女性に人気が高いようだが、命が惜しければこの付近には住まない方がいい。

死刑でいいです: 孤立が生んだ二つの殺人 (新潮文庫)

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人

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